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ディスレクシアらしき私の文字の見え方

以前の記事で、私がディスレクシアの可能性があることを記事にしましたが、調べていくと人間の認知機能的に非常に興味深く、自分でもいろいろと個人研究をしたいと思うようになりました。

そこで、自分の頭の中の思考過程を記事にしていこうと思います。まず、今回は私の文字の見え方についてお話ししましょう。

私の文字の見え方

ディスレクシアの人の文字の見え方について、ネットで画像検索すると、にじんだり、二重になったり、ゆがんだり、ばらばらになったり、といった画像を目にすると思います。

見え方は人によると思いますが、私の場合、これらとは似ていますがどれとも違う見え方をしており、以下の画像のように、文字の周りにハロとでもいうべき光彩やにじみがあり、そして文字と文字をつなぐようにもやが見え、全体がつながったように見えます。

私の文字の見え方 文章は Wikipedia より借用

しかし実際には、こうした固定された見え方ではなく、もっと動的に字がピカピカと光るように、にじみがパカパカ明滅するように見えます。さらに、行間スペースの大きさやフォントによっても見え方の強弱が異なります。

この現象は言語を問わず(日本語でも英語でも)起こりますが、特に英語がひどいです。なぜ英語でひどくなるかについて自分なりに考えましたが、それは下の方で説明します。

このように全部がつながってぼんやりと見えるため、英語の長い文章をしっかり読もうとすると、自分がどこを読んでいるかわからなくなってしまったり、次の行に進んだつもりが行を飛ばしてしまう、あるいは同じ行を読んでしまう、単語が頭に入らない、意味が頭に入らないといった現象が起こります。

症状がひどいときは、何度同じ行を読んでも一言も頭に入ってこず、文章が光の渦にのみ込まれて消えてしまうような感覚に陥ります。

私なりの読み方&対処法

私が文章を読むとき、上のような見え方をしてしてしまうのもあり、文章を一言一句順々に読み込んでいくと、たいていの場合頭に入らないか、文章内での自分の居場所を見失ってしまいます。

そこで私が、無意識かつ日常的に行っている読み方は、「単語の拾い読み」+「文脈から類推した補完」です。

イメージとしては以下の画像のように、全体の中で形や意味の目立つ単語、あるいは自分の頭にぐっと入ってくる単語のみ読み込み、あとは全体の文脈から類推することで、文章の意味を推定する読み方です。

言い換えれば、文章全体を図形としてとらえて、細部の特徴を拾っていくことで全体像を徐々に形作っていく感じでしょうか。

こうすることで、文章を「読める」ようになります。

しかし、ここで重大な問題があります。文意は「読めて」いるように見えても、細部は「読めていない」んです。

例えば、上の読み方では下から3行目の「first」を認識していないため、文意を少々違った意味に捉えてしまいます。

また、文脈による補完は、自分の背景知識なども必要となるので、背景知識の不足している内容の文章を読むと、読みの精度が格段に落ちます。

かといって、最初から順々に読んで意味を把握することは難しいんです。そうすると、インプットした単語が片っ端から抜けていき、読むどころか文章の意図を全く把握できなくなります。

全体を把握し、全体からつながりを見出して意味を見出していくやり方でないと、どうしても「読む」ことができなくなります。

どうしても細かい部分まで把握しなければならないときは、下の画像のようにマウスでなぞってハイライトしたり、読み方を変えて何度も読むということをします。

なぜ英語でひどい症状が出るのか?

ディスレクシアについて調べていると、英語圏(アルファベット圏?)でのディスレクシアの認知数が、日本語圏よりも有意に多く、日本の教育現場でも英語でつまづく人が多いといいます。

それはなぜでしょう?

専門書などを読むと、英語と日本語では、字の形と音と意味の結びつきが異なるから、というのが理由として考えられています。

それについては納得することができますが、自分の体験としては、日本語と英語では、文字の意味と形の「濃淡が違う」からなのではないかと思います。

以下の画像は Wikipedia のディスレクシア項目の日本語と英語版の借用を並べたものです。

上の二つの文章を、文章としてではなく、パッと画像として見てください。日本語の方が濃淡があるように見えないでしょうか。

日本語には、ひらがな、カタカナ、漢字があり、さらにアルファベットや数字も含まれます。そして、それぞれの文字群は画面に占める「濃さ」あるいは「密度」が違います。

例えば、「英語」と「えいご」では、図形として画面上の濃さが違いますよね。

また、表音文字であるひらがなとカタカナ、表意文字も含む漢字では、文章内の意味の重さが全く違います。

そのため、日本語は文章内の言葉のコントラストがとてもはっきりしており、文字や単語がそれぞれかなり特徴的な主張をしてくれるため、独立してはっきりと見えます。そのことによって、文章の内容を拾いやすく、追いやすくなります。

ところが、英語は文字の図形としての濃さがほぼ同じ、そしてすべて表音文字です。そのため、文章内での濃淡がほとんどなく、すべて同じに見えます。

その結果、それぞれの文字がどれも主張をしてくれず、全体に埋没してしまい、ぼんやりとつながって見えてしまいます。

困ったことに、英語はアルファベットが正確な順番で組み合わさって初めて意味をなします。濃淡がなく互いの区別の難しい字を順々に正確に読まないと、意味が把握できないんです。

フォント変更による対処法

フォントを変えることで文章が読みやすくなることは、文字や文章に携わる人ならだれでも知っている常識だと思いますが、ディスレクシアの観点から、理にかなった読みやすいフォントを発見しました。

英語フォントとしては Open Dyslexic、日本語フォントとしては、UDデジタル教科書体です。

Open Dyslexic は、文字の形が手書き文字に近く、線の太さが一つの文字の各部分で異なっています。特に、全体的に文字の下部の線が濃くなっているため、文章にした時に一行一行の濃淡がはっきりと見えるため、行を追いやすくなります。

そして、手書き文字に近いことによって、単なる静的で単調な図形の逐次処理ではなく、動的なイメージに結びつくため、より脳が受け入れやすくなっています。

さらに、文字ごとにかなり画面に占める濃淡が異なるため、単語にした時にその単語が図形といて特徴的な濃淡をもつようになります。このことは、全体から単語を正確に認識するのに役立ちます。

文章全体を Open Dyslexic に変えると、最初はごちゃごちゃしてうるさく見えるかもしれません。しかし読んでみると、文字と文字、単語と単語、一行一行がしっかりと存在感を示してくれるため、読んでみると大変読みやすく感じます。

日本語フォントのUDデジタル教科書体もコンセプトは似ており、手書き文字に近いため動的イメージに結びついた読みができ、脳が受け入れやすく感じます。

先ほどから、イメージと何度も書いていますが、具体的に何かをイメージしているわけではありません。文字のような記号をその記号の並びの通りに順にボタンを押すように処理していくというよりは、記号のもつ意味の川の流れの中を泳いでいく、という感じでしょうか。

自分でもなかなかうまく説明できません。

最近読んだ本の中で、イメージというものは、ディスレクシアの人の物事の認知において、極めて重要な役割を果たしていることを知りました。

これら2つのフォントとも、イメージを想起させるという点で、他のフォントと全く異なっています。

もし、ディスレクシアかどうかわからないが、文章の意味が入りづらい、読みづらいという方は、フォントを変更してみてはいかがでしょうか?

Google Chrome ブラウザには、フォントを Open Dyslexic にするアドインが用意されています。

https://chrome.google.com/webstore/detail/opendyslexic-for-chrome/cdnapgfjopgaggbmfgbiinmmbdcglnam

試してみたい方はぜひ。