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眞鍋淑郎博士のノーベル物理学賞受賞に思うこと~好奇心は研究の原点かつ最大の目的~

眞鍋淑郎博士のノーベル賞受賞によって、地球科学界は大いに沸きました。これは、眞鍋淑郎博士の始めてきた、地球の気候への理解、人類活動の地球環境への影響の評価、そして地球に生きる私たち人間の未来予測の重要性を世界に知らしめる大変な業績だと思います。

そして、眞鍋博士ら3人の行ってきた地球環境変動の理解への業績を賞したノーベル財団にも称賛が与えられるべきだと思います。

それは、地球科学分野に初めてノーベル賞が与えられたという単純なものではないと思っています。これまでは、物理・科学・生命科学の単一の分野において人類の科学力の飛躍的発展に貢献した研究が賞されてきましたが、今回の受賞によって、分野横断的、かつ、私たち人間そのものとその未来の理解のための研究が賞される時代になったことを示しているんだと思います。

というわけで、今回の受賞は、人類の科学力という枠組みを超えた、画期的な受賞だと思います。

そんな今回の受賞ですが、眞鍋博士の語っておられた、

好奇心

について、今回は語ってみたいと思います。

Summary

  • 好奇心とは、研究をしたいと思う原点であって、それを満たすことは研究の究極の目的である。
  • 好奇心は、よい研究成果を得る力になり、研究を正しい方向に進める力にもなる。
  • とはいえ、好奇心だけ研究者全員が食っていくことは難しいのもまた事実。
  • そこで重要なのは、日々の研究の中に、いかに好奇心を入れ込んでいくか。

好奇心~研究の原点、そして、究極~

ここからは私が思うことであって、研究者全員に共通することではないと思います。しかし、眞鍋博士の語っておられた「好奇心」について、私は大いに共感するところがあります。

私が研究者になろう、つまり、博士課程に進もう、と思ったのは、「研究っておもしろい!地球をもっと知りたい!」と思ったからでした。今でもそれは変わりません。

地球科学は不思議なこと、面白いことがいっぱいです。私の研究はそういった面白いことと出会い、「なぜ?どうして?もっと知りたい!」と思うところから始まります。そうして研究が一歩進んだとき、初めてそこに社会的・研究的意味づけをしていきます。

研究プロポーサルなどには、普通は学術的課題・社会的課題を挙げて、その解決策と期待される成果、そして今後の展望や意義を書いていきます。私もそうしています。

しかし、私の脳内ではそうなってはません。まず自分が面白い、知りたいと思うところから始まりますが、それは書類には書きません。書類では、そこに意味をつけていって、最後に期待される成果や意義を見出してシメとします。脳内にはさらに先があり、自分の好奇心を満足させる、知りたいこと、というのがあります。

そうです。紙には社会的・研究的意義は書いていても、私にとっての研究は、好奇心から始まり、それを満たすためにあるんです。

多くの研究者は、口や紙では社会的・研究的意義のことを言っていても、好奇心が根底にあるはずです。

好奇心の力~正しく成果の高い研究へ導く力~

研究というものにもいろいろあります。自発的に行う研究、ボスに言われて行う研究、企業や政府からの受託研究、共同研究の要請に従って行う研究、学生の指導として間接的に行う研究、などなどさまざまな形があります。

自発的に行う研究はいいとして、言われて行う研究や、他人の要請に従って行う研究では、場合によっては好奇心が伴いにくいかもしれません。

もし、ある研究作業に好奇心に動かされるものがなかったらどうなるでしょう?好奇心のあるなしでは、研究はどのように展開していくんでしょう?

たとえば、決められたエリアの決められたポイントで、目的の岩石があるかどうかを探す、という調査の依頼があったとします。そして、一日調査を行って決められたポイントを回りきりましたが、目的の岩石は見つかりませんでした。調査内容をレポートするならそれで充分です。あらかじめ計画したとおりに調査を行った結果、目的の岩石が見つかりませんでした、と書けばよいだけです。それ以上の探索は求められていないし、依頼の報酬を得るためならそれ以上は無駄といえるでしょう。

しかし、本当にその岩石に興味があって、本当にそれを見つけたい、そしてなぜ決められたポイントにないのか?それを知りたい、としましょう。すると調査中の「目」が違ってきます。アンテナが敏感になります。そして、決められたポイントを回りきったとき、アンテナフル稼働でピンときた、当初予定になかったポイントにどうしても行っておきたい、気持ちが芽生えます。大発見は、だいたいそういうときになされるものです。

私が野外調査に行った時も、当初予定になかったところが素晴らしいポイントだった、ということはよくありました。このように、好奇心はよい研究成果を得るための「もう一歩、もうちょっと」を後押しする力になると思っています。

また、好奇心が原動力となっていない研究は、悪い方向へ行きがちなのも、身をもって経験しました。

例えば、当初予測していた実験結果とは異なる、好ましくない結果が得られたとします。さらに、それを検証するためには、追加の実験や解析が必要となることが分かったとします。なぜこのような結果が出たのかが純粋に知りたければ、もちろん追加の実験と解析は行うでしょう。しかし、レポートを書くだけなら、「異なる結果が出た、さらなる実験が必要と考えられる」などと書いたり、あるいは、適当な解釈を付け加えたり、最悪の場合”改ざん”という結末を迎えるかもしれません。

私も「早く結果を出せ!早く結果を出せ!」としつこく追及されたことがあります。しかし、得られている結果はこれまでの経験では解釈不可能な、一言でいえば好ましくない結果でした。図のアスペクト比などでうまく書けばこれまでの解釈に範疇に入れることもできましたが、時間がかかってもそれはしませんでした。それは許せませんでした。結果、むしろ研究成果として面白いことがわかり、後の時焦って結果をだけを出そうとしなくてよかったと思っています。

このように、好奇心が根底にあることで、研究を正しい方向に導き、研究が研究として存在できるような新たな研究成果が得られると考えています。

好奇心をもって研究者として生きていくには?

これを語るには、研究者本人の内面的側面と、外的要因である環境的側面があると思います。

まず、内面的側面ですが、研究者本人がどんなことにも興味を持って取り組む、言い換えれば、どんな研究タスクでも自分なりの楽しみをもって取り組むことが必要だと思います。まぁ実際はそういうメンタリティをもった人でないと博士号は取れないと思うので、研究になるような人はそういうメンタリティをもっている前提であると考えてもよいでしょう。

問題なのは外的要因です。これについてては、研究者を取り巻く日本の環境と人間関係の問題が非常に大きいと思います。

これこそ、眞鍋博士の言及された、日本と海外の研究環境の大きな違いの一つであると考えています。

日本では研究の話をするときも、趣味などの個人的な話をするときも「すごいね!」「すばらしい!」「素敵だね!」といった言葉はめったに聞かれません。そのかわり「大変だね」「頑張ってね」「そんなんじゃ…」といったネガティブ寄りな言葉が返ってきます。

一方で、アメリカでは何を言ってもまず「Great!」「Awesome!」「Fascinating!」みたいな言葉が返ってきます。悪い結果が得られているとしても「Interesting」「Still fun」のような可能な限りポジティブな言葉が返ってきます。

この差は小さなようで実に重要で、アメリカのように前向きな言葉をかけられることは、好奇心をもって研究を愛せる原動力の一つになります。

なかなかこういったパーソナルなことは、報道などには出てきませんが、小さなことでも研究者のメンタルには甚大な影響力があると思います。

眞鍋博士のおっしゃったように、日本には協調あるいは同情を重んじる文化があり、また、謙遜する文化があると私も思います。しかし、好奇心を原動力に自ら行動して未知の領域を切り開いていかなければならない研究者にとって、こうした文化は足かせにしかなりません。

ではどうやってこの日本という環境で好奇心をもって研究者として生きていくか、という話ですが、一つは簡単です。それは、日本を出ること。

しかし、私を含めそれが難しい人は、どうやっていきていくか。そのためには、今のところ、本音と建て前をうまく使って生きていくしかないと思っています。本音では協調を無視して自分自身を生き、建て前では強調しているふりをする。それが今の日本で研究者として生きる術だと思います。

今のところはそれしか言えませんが、今回の留学があと2か月を切るなか、日本に帰国してから自分がどのように楽しく研究人生を送っていくか、それを考えなければなりません。

あと2か月でそのためのヒントを得られればと思います。